【音楽史】ドラムの歴史 Part6【シカゴスタイルのドラム】

【音楽史】ドラムの歴史 Part6【シカゴスタイルのドラム】
ドラムってどんな歴史があるの?
昔のドラムってどんな感じだったんだろう?

 

このような疑問にお答えする内容です。

 

History of the Drumset – Part 6, 1919 – Chicago Style Drumming

 

ドラムスティック・マレットを開発している世界的なメーカーVic Firthが解説する「ドラムの歴史」をかんたんにまとめてみました。

 

今回はPart6として、シカゴスタイルのドラミングの歴史、そして当時のフィルの叩き方の歴史を振り返ります。

 

楽器の歴史を知ると、時代背景に沿った楽曲を作れるようになり、作曲の引き出しが増えますので、ぜひ最後までご覧ください!

(当時の再現演奏もあります!)

 

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1919年

 

さて、これまでダブルドラミング、マーチング、トラップ、初期のジャズ(ニューオリンズ)など、さまざまなドラムのスタイルを見てきました。

 

次に動きがあるのは、1919年から1920年頭にかけてです。

1920年代のアメリカは「狂騒の20年代」と呼ばれており、こう呼ばれる理由と音楽にはどんな関係があるのか、見ていきましょう…

 

1919年、アメリカではアルコールの製造・輸出入を禁止する法令「禁酒法」を施行しました。

飲酒は道徳的によくないものだ、アルコールを排除しようという考えから生まれたものです。

 

禁酒法と酒場

 

しかし逆に「法律で禁止されていることをやるのはイケてる」といった風潮が生まれ、アンダーグラウンドではよく行われていました。

 

1920年は「狂騒の20年代」や「ジャズの時代」と呼ばれていますが、これはこういった背景でパーティーが行われ、人々は狂うように遊んでいたからです。

この頃は、シカゴのアル・カポネなどのギャングスターたちが力を持っていましたが、これは彼らがリキュールを密売していたからです。

 

アルコールが密売されていた酒場は「スピークイージー(speakeasy)」と呼ばれ、パスワードを知らないとお酒は飲めず、お店にも入れないようになっていました。

これは特にシカゴで人気となります。

 

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スピークイージーとジャズ

 

そんな酒場「スピークイージー」で演奏されていたのが、ジャズです。

ジャズもまたアンダーグラウンドで作られ、演奏され、アフリカ系アメリカ人の音楽スタイルだったからです。

 

アフリカ系アメリカ人の中にはまだ隔離されて生活している人がいましたし、胸を張ってアフリカ系アメリカ人の音楽を楽しむ人もいませんでした。

しかしスピークイージーに行けば、そういった音楽が演奏されていて、違法になっているアルコールを楽しむことができたのです。

 

当時のジャズは、ダンスにはもってこいのスタイルでした。

 

10年ほど経つと、ジャズはだんだんHorn系楽器と一緒に演奏されるようになったり、より大きな編成で演奏されるようになります。

これがのちに「ビッグバンド」と呼ばれるようになります。

 

シカゴスタイルのジャズ

 

2:52~3:32

History of the Drumset – Part 6, 1919 – Chicago Style Drumming

 

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Old Schoolフィル VS モダンフィル

 

前回はニューオリンズのスタイルと今回のシカゴスタイルの演奏を聞くと、ドラムのフィルが現代のフィルとちょっと違っていることがわかります。

 

現代のドラムはスティックでタムを音程が高い順から「ドコドコドコドコ」と叩き、次の小節の頭にクラッシュシンバルを1回だけ叩いたりしますよね。

しかし、ニューオリンズやシカゴスタイルのジャズでは、4拍目にクラッシュを鳴らします。

これは、1950年ごろまで続いたフィルのスタイルです。

 

なぜ4拍目にクラッシュを叩くのか?

 

以前お伝えした通り、当時はギターアンプやPAシステムなどもありませんから、ドラムは他の楽器と比べて「うるさい楽器」と考えられていました。

そのため、1拍目にクラッシュを鳴らすのは他の楽器をかき消しやすいのでご法度だと言われていました。

 

次の小節の1拍目にクラッシュを叩かないのは、ニューオリンズのシンコペーションのアイデアからも来ています。

(シンコペーションは、表拍に強拍が来ません)

 


 

つづきのPart7はコチラ

 

https://www.mizonote-m.com/the-history-of-drums-vic-7/