【音楽史】スピリチュアルって、どんな音楽?【歴史編】

【音楽史】スピリチュアルって、どんな音楽?【歴史編】
「スピリチュアル」って、どんな音楽?
どんな歴史があるの?

 

このような疑問にお答えする内容です。

 

今回は英語版wikipediaの「スピリチュアル」について、かんたんにまとめてみました。

 

今回はPart2として、スピリチュアルの歴史についてご紹介します。

 

Part1: 「スピリチュアルとは?」「Jubilee Singers」

 

おそらくほとんどの人が「スピリチュアル」と聞くと「占い」「タロット」といったイメージを持つと思いますが、実はそれとは関係なく、音楽ジャンルとして「スピリチュアル」というものがあります。

あまり知られていない音楽ですが、アメリカにおける奴隷制度と非常に強く結びつきがあり、のちの音楽の発展に非常に重要な役割を果たした音楽ですので、ぜひこの機会に理解を深めてみてください。

 

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スピリチュアルの起源

 

スピリチュアルにあるリズムや音の要素の多くはアフリカが起源ではあるものの、この音楽自体はアフリカ系アメリカ人とその子孫たちの、アメリカ国内での宗教的体験から来ているものです。

 

ヨーロッパ起源の宗教・音楽と、アフリカ起源の宗教・音楽が互いに影響し合い、このような音楽になりました。

ちなみに、この2つの相互作用はアメリカでしか起きていません。

他の国や地域では、カリブやラテンアメリカなどでさえも、キリスト教に改宗した人たちがこういった進化を遂げることはありませんでした。

 

こっそりと

 

奴隷にされた人々は、アメリカにくると同時に西アフリカの伝統もアメリカにもたらしました。

これらは仕事から礼拝まで、ダンスや音楽に関係しているものです。

 

しかし、ヨーロッパ人の主人(奴隷を扱っている人)たちは、こういった太鼓やダンスなどのアフリカ由来の崇拝形態を「偶像崇拝だ」とみなしていたため、この多くを禁止してしまいます。

太鼓も、アフリカにいた時と同じように使いつつ、コミュニケーションや抗議のためにも使っていました。

しかしこちらも太鼓の使用が禁止されてしまったため、奴隷にされた人々は、彼らの主人たちに見つからないよう、こっそりと音楽をしなければいけなくなりました。

 

Field Hollers(フィールド・ホラー)

 

フィールド・ホラーは「Levee Camp Holler music」という名前でも知られているアフリカ系アメリカ人音楽の前身で、19世紀に誕生しています。

これはのちのブルース、スピリチュアル、リズムアンドブルースの基礎を築いています。

 

奴隷にされた人々の叫びや嘆き、綿畑で働く小作人、刑務所で鎖で繋がれた囚人たち、レールウェイギャングなどは、アフリカンアメリカンスピリチュアルやゴスペルに見られる「コールアンドレスポンス」の先駆けと言われています。

これらは、ジャグ・バンドやストライドピアノ、そしてブルース、リズムアンドブルース、ジャズ、一般的にいう「アフリカ系アメリカ人音楽」にも多く見られるようになります。

 

奴隷制度と改宗

 

スピリチュアルは主に宗教的信仰を表現した音楽で、アメリカで奴隷にされたアフリカ人の間で始まりました。

 

奴隷の人たちは母国語を話すことを禁じられており、基本的にキリスト教へ改宗させられていました。

(自ら改宗した人もいましたが、改宗することでメリットがあったからという理由も考えられます)

そのため、彼らの少ないボキャブラリーを駆使して、彼らが知っている聖書の内容や事実を音楽に使っていきました。

 

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唯一感情を表現できる場所

 

一部の地域では、奴隷にされたアフリカ人が「祈りの会」を開くことを許可・推奨されていました。

彼らにとって、(特に精神的に)意味のある「自分自身を表現する場」がなかったためです。

 

こういった礼拝・宗教的な集会は、奴隷にされた人々にとって唯一合法的に集まり、交流し、安心して感情を表現できる場所だったのです。

この集会や礼拝の際、崇拝者は歌い、踊り、時には有頂天になることもありました。

 

シャウト

 

またスピリチュアルとともに、シャウト(Shauts)も礼拝所や教会で誕生しました。

 

シャウトはシャッフルビート(タッタ・タッタ・タッタ・タッタ)を足踏みで刻み、クラップ(手を叩く)を交えて行われる音楽です。

(ちなみに教会内で脚をクロスするという行為は禁止されていたので、これを避けながら足踏みしていました)

 

McIntosh County Shouters: Gullah-Geechee Ring Shout from Georgia

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アフリカ人奴隷がアメリカにもたらしたもの

 

奴隷にされた人々は、ボーンズ、ボディーパーカッション、バニア、バンジュー、バンジャーラなどのバンジョーの前身である楽器(ただしフレットはない)をアメリカに導入します。

そして、アフリカのリズムと先祖代々伝わった要素を使い、演奏していました。

 

また、彼らはアフリカの読み聞かせ(ストーリーテリング、Story Telling)を重要視した、長年続く宗教的伝統もアメリカにもたらします。

音楽は、コミュニケーションや社会的習慣、民族の歴史を共有する過程において非常に重要なものとして考えられていました。

 

スピリチュアルの主な機能として「宗教的な集まりで一緒に歌うもの」がありましたが、西アフリカの伝統的な宗教を思い起こさせる「コール・レスポンスパターン」を使うというのもそのうちの一つでした。

アフリカンアメリカンスピリチュアルは、白人アメリカ人への社会的抗議としての意味もあったかもしれません。

 

今も、アフリカの伝統が生きている

 

現在も、アフリカをルーツとする伝統が見られます。

例えば「コールアンドレスポンス」は、話し手が間隔を置いて話し、説法中に会衆が継続的に反応する(レスポンスする)というものです。

スピリチュアルでは、曲の途中で説教者(Preacher)が声をピンと張って独特の音色を生み出す「ストレイニング・プリーチャー(Straining Preacher)」という手法も誕生しました。

これは、スピリチュアルやブルース、ジャズで使われています。

 


 


【音楽史】スピリチュアルって、どんな音楽?【Part1】