【音楽史】ビバップ(Bebop)とは?【歴史編~ビバップ初期~】

【音楽史】ビバップ(Bebop)とは?【歴史編~ビバップ初期~】

 

ビバップって、どんな音楽?どんな歴史があるの?

 
今回はこのような疑問にお答えする内容です。

 

英語版wikipediaの「ビバップ」をかんたんにまとめてみました。

 
今回はPart2として、ビバップの歴史(初期〜1940年ごろ)を解説をしていきます。
 
Part1:概要編

Part2:ビバップの歴史(初期〜1940年ごろ)

Part3:ビバップの歴史(各ビバップスターの活躍)

Part4:ビバップの歴史(1950年以降)

Part5:音楽的特徴
 
名前はチラっと聞いたことがある方もいるかもしれませんが、その詳細についてはあまり知らない方も多いでしょう。
 
こちらのシリーズを読むと作曲の引き出しが増えますので、ぜひ最後までご覧ください!
 

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スイング時代の影響

 
ビバップは1930年代中盤以降、スイング時代にできたトレンドの集大成として生まれ、成長していった音楽です。
 
この時代の具体的な特徴としては、以下が挙げられます。
 

・ドラマーによる明確なテンポキープが少ない

・リズムの中心がバスドラムからライドシンバルへ移行

・ピアノの役割が変わり、リズム楽器としての役割からアクセントやフィルを担う役割へ

・華やかなホーンセクションが少ない

・リフや根幹となるリズムに重点を置く

・ソリストに”自由”を与えることを重視

・バンドを使うことで、アレンジにおけるハーモニーをより洗練させる

 

リズミカルなスタイルにしていくことで、ソロ重視のスイングは、彼らの「音楽の都市」であるアメリカ・カンザスシティを含む南西部の「テリトリーバンド」によって人気を上げていきます。
 
テリトリーバンド:アメリカの地域を横断するダンスバンド。バンドは8~12人で構成される。
 
彼らの音楽はブルースやシンプルなコードチェンジをベースとしており、メロディーラインやソロの伴奏はリフをベースに、そしてメロディーとハーモニーをスイングに足すスタイルでした。
 
 
カンザスシティで行われていたスイング時代のジャムセッションと「カッティングコンテスト」は、のちに伝説となります。
 
このカンザスシティのスイングに対してのアプローチは、1937年に全国的に有名になった「Count Basie Orchestra」によって使われています。
 

Show of the Week – Count Basie and his Orchestra (1965)

 

Count Basie Orchestra

 
Count Basie Orchestraの中でもとりわけ素晴らしいプレイヤーだったのは、ティーンエイジャーのアルトサックス奏者のCharlie Parkerでした。
 

Lester Young with the Oscar Peterson Trio (Full Album)

 
彼は同バンドのテナーサックス奏者だったLester Youngのとりこで、Youngはソロでのハーモニー構造へのアプローチと同様に、リズムやフレージングに対して大胆なプレイヤーでした。
 
彼は2~3音だけのシンプルな音形を繰り返すスタイルを頻繁に使っており、ここでは音量やアーティキュレーション、音程を変えることでリズムのアクセントをズラしているのが特徴です。
 
また、彼のフレージングはホーンプレイヤーがそれまで使っていた2~4小節のフレージングとは全く別物なのが特徴的。
 
フレーズの途中でブレスを取り、休符や「フリースペース」を入れるなどをクリエイティブな手法として使うこともありました。
 

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全国に広がる人気

 
こういったテクニックにより、彼のソロは「アンサンブルのサウンドが提示するインターバルにおいて湧き出てくる感じ」というよりも、「その他残りの音楽の上に浮いているような感じ」聞こえていました。

 
このバンドが1937年にアメリカ全国で人気を獲得し、ニューヨークのラジオでも放送されるようになると、アメリカ全体で支持を集め、Youngをマネするサックス奏者、Jo Jonesをマネするドラマー、Basieをマネするピアニスト、Buck Claytonをマネするトランペット奏者たちなどが現れ始めました。
 

Duke Ellington OrchestraとJimmie Lunceford Orchestra

 
1930年代終わりごろになるとDuke Ellington OrchestraとJimmie Lunceford Orchestraは、Billy StrayhornとSy Oliverによってハーモニー的に非常に洗練されたアレンジにより、音楽界で注目を集めていきます。
 

Duke Ellington, "Take the A Train"

 

JImmie Lunceford And His Orchestra

 

ハーモニー的に洗練されたコードを控えめに使っていた彼らのテクニックは、たちまち若いミュージシャンたちにも使われ、この中からもビバップの新しい「音楽的な言語」を求めていく者も現れました。
 

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ピアニスト Art Tatum

 
ピアニストのArt Tatumによる洗練されたハーモニーや素晴らしいテクニックは、Charlie ParkerやBud Powellなどの若いミュージシャンたちに大きな影響を与えました。
 
ちなみに彼のニューヨークでキャリアをスタートさせた頃、Tatusが定期的に演奏していた施設でParkerが皿洗いの仕事をしていたという話もあります。
 

 

ヘッド(head)を使ったスタイル

 
スイング時代に起こった数あるトレンドの中の一つとして、「ヘッド(head)アレンジを小さなアンサンブルで演奏するというスタイルを復活させたこと」があります。
 
これは前述のBasieのビッグバンドで使われた手法でもあります。
 
小さなバンドは、よりアレンジが効く大きなバンドよりも即興を実験的にやってみたり、ソロを拡大するのに向いていました。

 

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Coleman Hawkins

 
1939年リリースのColeman Hawkinsによる楽曲「Body and Soul」は小さなバンドを使っており、ここではジャズ特有であったテーマ(theme)を最小限に使ったサックスソロをフィーチャーしたり拡大しているのが特徴です。
 
このソロでは、洗練されたハーモニーをパッシングコードとともに使っています。
 
パッシングコード:あるコードとコードをなめらかにつなげるために、それらのコードの間に入れるコードのこと
 

Coleman Hawkins-Body and Soul

 

Charlie Parkerとニューヨーク

 

様々なプレイヤーと研究を進めるParker

 
1930年代から1940年代になると、Charlie Parkerはニューヨークへ向かい、Jay McShann Orchestraのフィーチャープレイヤーとして活動していきます。
 

Jay McSchann Orchestra featuring Charlie Parker, "St. Louis Mood"

 
彼はニューヨークでハーモニーやメロディーの限界を模索している他のミュージシャンを目の当たりにします。
 
たとえはDizzy Gillespieは、Roy Eldridgeの影響を受けたトランペットプレイヤーで、Parkerのようにアッパーコードインターバルをベースにした音楽を作っており、昔からジャズでよく使われるハーモニーであるセブンスコードを超えたサウンドを追求していました。
 
アッパーコードインターバル:ただのトライアドだけでなく、9thやaug11など、より複雑な響きを伴う音を使う方法
 

Dizzy Gillespie feat. Charlie Parker – A Night In Tunisia

 

GillespieがCab Callowayと活動していたころ、彼はベーシストのMilt Hintonと共に、のちに新しい音楽の基礎となるであろうハーモニーやコードの研究を進め、練習していました。
 

Cab Calloway – Minnie the Moocher

 

Good Time Charlie

 

ParkerはJay McShannのグループに所属していた頃、ベーシストのGene Rameyとも同様に研究を進めていました。
 

Stan Getz Bop Stars – Long Island Sound

 

ギタリスト・Charlie Christian

 
ギタリストのCharlie Christianは1939年にニューヨークに向かい、Parkerのように「サウスウェスタンスタイル」をさらに推し上げるイノベーターとして活躍していました。
 

SWING TO BOP (1941) by Charlie Christian

 
Christianが最も影響を与えたのは、彼のリズミカルなフレージングにありました。
 
彼は主に弱いビート部分やオフビートを強調し、4拍目の後半にフレーズを終わらせるのが特徴。
 
オフビートって何?という方はこちら
 
アシンメトリーなフレーズを使ってきた彼ですが、これはのちに、新しい「バップ」スタイルの要素となります。
 

ピアニスト・Bud PowellとThelonious Monk

 
Bud Powellは、リズミカルな流れ、洗練されたハーモニー、巧みなピアノが特徴のアーティスト。
 

 
また、Thelonious Monkは「ハーレムストライドピアノ」をルーツにした彼の音楽スタイルに、新しいハーモニーのアイデアを足しているのが特徴でした。
 

Thelonious Monk – Monk's Dream / Biography

 

thelonious monk – don't blame me

 
ハーレムストライドピアノ↓
 

Harlem Stride Piano

 
ちなみにストライドピアノは、みなさんも一度は聞いたことがある「ラグタイム」のルーツにもなっているピアノスタイルです。
 

【音楽史】ラグタイムとは?【概要編】


 

ドラマー・Kenny ClarkeとMax Roach

 
Kenny ClarkeやMax Roachなどのドラマーたちは、Jo Jonesによって作られたこれまでのセットにライドシンバルを加えます。
 

 
このライドシンバルはメインのタイムキーパー役となり、バスドラムにはアクセントの役割をさせるようになります。
 

新しいドラミングのスタイルは、アクセントやフィルを使うソリストたちに支持され、「コールアンドレスポンス」のように使われていくようになります。
 

ベースへの影響も

 
また、この変化はストリングベース(コントラバス・ダブルベースなど)の重要性も底上げすることとなります。
 

Kenny Clarke Bebop

 

Max Roach | Triptych 1964

 
現在では、ベースはハーモニーの基礎部分を演奏する役割だけでなくメトロノーム的なリズムの基礎を演奏する役割を担っており、主に4分音符で演奏する「ウォーキングベース」を使って演奏されるようになりました。
 

「新しい音楽」のパイオニアたち

 
新しい音楽を開発するこのような精神は、前述のMonkやClarkeがハウスバンドに所属していたMinton’s Playhouse(Mintonによって設立されたジャズクラブバー)や、Max Roachが所属していたMonroe’s Uptown Houseで行われたセッションに引き寄せられていきます。
 
たとえばMinton’s Playhouseで見られるジャムの要素としては、「レギュラーミュージシャン」たちが通常の曲をリハーモナイズしてメロディーや「ヘッド」に複雑なリズム要素やフレーズを足していったり、部外者や単純に技術のないプレイヤーたちを排除するために、ものすごく速いテンポで演奏する、といったものがありました。
 
彼らのような「新しい音楽」のパイオニアは、さらにアドバンスドなハーモニーや複雑なシンコペーション、コードチェンジや代理コードの可能性を追求していきます。
 
このようなバップのアーティストたちは、より自由奔放で、複雑で、時折不可解なアプローチと優れたテクニックで音楽を繰り広げていきます。
 

バップの即興演奏

 
当時のバップの即興演奏者たちは、Lester Youngのソロスタイルで一躍注目を集めたフレージングのアイデアをもとに演奏していました。
 
奇数小節にフレーズを展開したり、小節線やメインのリズムにまたがってフレーズを展開させていたのが特徴です。
 
前述のChristianや初期の「バッパー」たちは、リズムセクションによって作られる曲のアウトライン(大枠)が出てくる前に、即興ラインにハーモニーを入れるという手法も使い始めます。
 
ここで一瞬出てくる不協和音が、即興を強く前に押し出す効果を出していくのです。
 

この手法は、Coleman Hawkins、Lester Young、Ben Webster、Roy Eldridge、Don Byasなどの
スイングのトップアーティストたちを魅了していきます。
 
Byasは自身の演奏スタイルに新しいビバップスタイルを完全に取り入れた最初のテナーサックス奏者です。

 

Don Byas – Georgia On My Mind

 


 
 
↓つづき「ビバップの歴史(各ビバップスターの活躍)」
 

【音楽史】ビバップ(Bebop)とは?【歴史編~各ビバップスターの活躍~】