【音楽史】ドゥーワップ(Doo-wop)とは?【歴史編】

【音楽史】ドゥーワップ(Doo-wop)とは?【歴史編】

 

ドゥーワップって、どんな音楽?どんな歴史があるの?

今回はこのような疑問にお答えする内容です。

 

英語版wikipediaの「ドゥーワップ」をかんたんにまとめてみました。
 
今回はPart2として、ドゥーワップの生い立ちを解説をしていきます。
 
Part1:概要編(音楽的特徴と名前の由来)
 
Part2:歴史編
 

名前はチラっと聞いたことがある方もいるかもしれませんが、その詳細についてはあまり知らない方も多いでしょう。
 
こちらのシリーズを読むと作曲の引き出しが増えますので、ぜひ最後までご覧ください!
 

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戦後にポピュラーだった「ボーカルグループ」のスタイル

 
戦後のアメリカで発展したボーカルグループによるパフォーマンススタイルはR&Bにおいて最もポピュラーなスタイルで、黒人のティーンエイジャー、特にシカゴやデトロイトなど、アメリカ東海岸の大都市の中心に住んでいた若者たちに支持されていました。
 
最初に「ボーカルグループ」としてパフォーマンスしたのは、The Orioles、The Five Keys、The Spanielsです。
 
彼らはロマンティックなバラードで、1940年代終わりから1950年代前半にかけてティーンエイジャーたちの「理想の異性像」をアピールしていました。
 

 

 

 

特に意味のないシラブル「ドゥ・ドゥ・ドゥ・ドゥーワップ」といった発音はのちにこの音楽ジャンルの名前の由来となり、Delta Rhythm Boysの1945年の楽曲「Just A Sittin’ And A Rockin」の歌詞にも繰り返し使われます。
 
1950年代中盤までには、ボーカルグループは「バラードをなめらかに歌えるスタイル」から「アカペラの楽曲でリズムを担当するベースシンガーによる意味のない歌詞を伴うパフォーマンススタイル」へと移り変わっていきます。
 
そのすぐ後、ドゥーワップのグループたちはボーカルチャートにランクインし、特に1955年にはThe Moonglowsの「Sincerely」、The Penguinsの「Earth Angel」、The Cadillacsの「Gloria」、The Heartbeatsの「A Thousand Miles Away」、Shep & the Limelitesの「Daddy’s Home」、The Flamingosの「I Only Have Eyes for You」、The Jive Fiveの「My True Story」などのヒット曲が連発します。
 

 

 

 

 

 

 

 

白人社会で生きる、お金がなかったティーンエイジャーたち

 
この頃、楽器を買う余裕がなかったティーンエイジャーたちは、高校やその他社会のコミュニティでアカペラを歌うグループを結成していました。
 
彼らは街角やアパート、橋の下や学校のトイレなど、ホールの音響効果やエコーが得られる場所でリハーサルを行っていました。
 
こういった場所だけが、彼らが練習できる唯一の場所だったのです。
 
 
しかしこのおかげで、彼らは黒人のスピリチュアル(音楽ジャンル)やゴスペルなどで使われるハーモニーや感情的なフレーズをさらに発展させていったのです。
 
ドゥーワップはこのような若者や他の人たちを楽しませるだけでなく、抑圧的な白人社会で生きる彼らの価値観や世界観を、歌詞に込めた隠れたメッセージを通して表現する方法の一つでもあったのです。
 

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イタリア系アメリカ人のグループ

 
特に活躍していたドゥーワップのグループは、若いイタリア系アメリカ人の男性で構成されたグループで、彼らは前述の黒人たちのように荒れた地域(BronxやBrooklynなど)に住み、音楽の基本を教会で学び、新しい音楽スタイルは街角で練習・経験していました。
 
ニューヨークはイタリア人によるドゥーワップの中心地で、成功したグループの本拠地でもありました。

 
1950年代終わりから1960年代初めは、多くのイタリア系アメリカ人グループが世界的成功を遂げます。
 

Dion and the Belmonts
 

 

 

 

The Capris
 

 

Randy & the Rainbows
 

 

その他イタリア系アメリカ人ドゥーワップグループ
 

 

 

 

 

 

 

 

様々な人種で構成されるグループ

 
ドゥーワップのグループの中には、様々な人種で構成されたグループもあります。
 
 
プエルトリコ出身のHerman Santiagoは、元々は「the Teenagers」のリードシンガーになる予定で、「Why Do Birds Sing So Gay?」の歌詞と楽曲を書いていました。
 
しかし自身の病気や、プロデューサーのGeorge Goldnerが新人のFrankie Lymonの声の方がリードに向いていると考えたため、Santiagoが参加したオリジナルバージョンはレコーディングされませんでした。
 
彼のテナーボイスに合わせるため、Lymonはメロディーの別バージョンを考え、結果的にthe Teenagersは「Why Do Fools Fall in Love?」をリリースします。
 

 
Chico TorresはThe Crestsのメンバーの一人でリードシンガー、Johnny Mastrangeloはのちに「Johnny Mastro」の名前で有名となります。
 

 
人種が混合しているThe Del-Vikingsは、1957年の「Come Go With Me」「Whispering Bells」でヒットし、The Crestsは1958年に「16 Candles」で、The Impalasは「Sorry (I Rn All the Way Home)」で1959年にヒットします。
 

 

 

 

 

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女性ドゥーワップシンガー

 
女性ドゥーワップシンガーは、初期のドゥーワップ時代ではあまり見られませんでした。
 
Lillian Leachは1953年から1958年までthe Mellowsのリードシンガーで、他のドゥーワップやソウル、R&Bの女性グループの道を切り開いていきます。
 

 
Margo SylviaはThe Tune Weaversのリードシンガーです。
 

 
女性ドゥーワップグループの中では、The Chantelsやthe Royalettes、the Chordettesなどが有名です。
 

 

 

 

ドゥーワップと人種の関係

 
ドゥーワップはR&Bの一種のスタイルですが、このR&B(リズムアンドブルース)という名前は、元々はレースミュージック(Race Music, Raceは”人種”という意味)と呼ばれていました。
 
1948年になると、RCA Victorが黒人音楽のマーケティングを「Blues and Rhythm」という名前のもと行い始めます。
 
そして1949年には、ビルボードマガジンのリポーターだったJerry Wexlerが名前を逆にして「Rhythm and Blues」とし、同誌の黒人音楽チャート欄で使っていた「Race Music」という名前と置き換えて使い始めます。
 

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R&Bと黒人音楽

 
R&Bスタイルの楽曲は主にボーカルを使い、バックのインストはフルオーケストラからインストなしまで、幅広いアレンジで作られていました。
 
主にグループ(特にカルテット)で演奏されることが多かったのですが、これは黒人のゴスペルの伝統から来ています。
 
クローズなハーモニーの使用、スロー〜ミディアムテンポで演奏されることが多いのも、このゴスペルの伝統が由来です。
 
リードボーカルは通常は高音域で歌われ、勢いがあり、他のシンガーが使っていないコードやコールアンドレスポンスを使った言葉の交わし合いなどを伴っていました。
 

Ink Spotsの活躍

 
Ink Spotsなどのボーカルグループはこのスタイルを採用しており、1950年代半ばにはストリートミュージシャンから大きく成長。
 
1955年から1959年の間には、ポピュラーミュージックチャートで上位に至るほどのアーティストになりました。
 

「文化の盗用」

 
一方その頃、Elvis PresleyなどのアーティストたちがR&Bの楽曲を演奏し、白人オーディエンスを獲得します。
 
R&Bはもともと黒人音楽でPresleyは白人でしたが、この「文化の盗用」の結果、その音楽に興味のあるリスナーとアーティストを一つにまとめることとなります。
 
黒人・白人の若者たちはどちらも人気のドゥーワップアーティストのパフォーマンスに興味があったため、メンバーが若く人種混合しているグループはストリートミュージシャンとしても目立っており、ドゥーワップの楽曲をアカペラで歌っていました。
 
これに怒り狂った白人至上主義者たちは「R&Bやロックンロールはアメリカの若者にとって危険なものだ」と考えていました。
 

このR&Bの発展は、人種差別がアメリカ社会で論争となっていた問題と一致していたため、黒人のリーダーシップは、さらに古い社会秩序に挑戦していくこととなります。