【ラテン音楽】レゲエ(Reggae)とは?【概要・歴史編】

【ラテン音楽】レゲエ(Reggae)とは?【概要・歴史編】

 

レゲエ(Reggae)ってどういう音楽?

どういう特徴や歴史があるの?

 
今回はこのような疑問にお答えする内容です。
 
英語版wikipediaの「レゲエ」をかんたんにまとめてみました。
 
今回はPart1として、レゲエの概要と歴史を詳しく解説していきます!

 
カリビアンミュージック解説シリーズ↓
 
1.概要編(カリビアンミュージックの定義、歴史、主な音楽スタイル)
2.メント(Mento)
3.カリプソ(Calypso)
4.スカ(Ska)
5.ロックステディ(Rocksteady)
6.レゲエ(Reggae)の概要・歴史
7.レゲエ(Reggae)の音楽的特徴
 
Part2~7では、カリビアンミュージックにおいて特に重要なジャンルをご紹介しています。
 
こちらのシリーズを読むと作曲の引き出しが増えますので、ぜひ最後までご覧ください!
 

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レゲエとは?

 
レゲエは1960年代終わりごろにジャマイカで誕生した音楽ジャンルです。
 
同じくジャマイカ発の音楽ジャンル「スカ」「ロックステディ」から進化しました。
 
今では世界中の国に知れ渡り、その土地のローカルの楽器を使ったり、他のジャンルと融合することもあります。
 

 

レゲエという言葉の意味・由来

 
1967年版のジャマイカンイングリッシュの時点によると、「reggae」という言葉は「ボロボロの服・布」「喧嘩」「列」「街」という意味がある「rage」「rege-rege」という言葉が由来としています。
 
一方、他の説では、スペイン語で「the king’s music」を表す言葉から来ているという説、ラテン語で「to the king」を表す「regi」から来ているという説もあります。
 
 
今では、「レゲエ」という言葉は、ジャマイカのポピュラー音楽を指す言葉だけでなく、ディアスポラ(四散したユダヤ人、四散した場所)を指す言葉としても使われます。
 
最初に「レゲエ」という言葉が使われたのは、1968年のToots and the Maytalsの「Do the Raggay」という楽曲で、この曲をきっかけに世界にもリスナーを広げていくことになりました。
 

 

レゲエという言葉は「ジャマイカのダンスミュージック」という広義で使われることがありますが、レゲエという言葉は、伝統的なメントやアメリカのジャズ、R&B(特にFats DominoやAllen Toussaintなどによって演奏されたニューオリンズのR&B)の影響を強く受けているスタイルを指す言葉として使う方が適切です。

 

レゲエという音楽の意味・役割

 
レゲエは、1930年代のジャマイカのアフロセントリック地域で発展した「ラスタファリ運動」と深い関わりがあり、この運動はパンアフリカ主義を促進させるためのものでした(カリブ海地域の国には、かつて黒人奴隷がいました)。
 
パンアフリカ主義:アフリカ大陸の住民や全世界に散らばったアフリカ系住民の解放・連帯を訴える思想。アメリカやカリブ海地域の黒人たちによって、自らのアイデンティティを求める運動として始まった。
 
レゲエは、ラスタファリアニズムの重要なメッセージを伝える、重要な手段だったのです。
 
ミュージシャンがメッセンジャー(伝達者)となり、ラスタファリアンたちからも「ソルジャーとミュージシャンは変革ためのツールだ」と考えられていました。

 

レゲエの歌詞

 
レゲエは通常、ニュースやゴシップ、政治的な論評・解説について歌っています。
 
ジャズ業界まで市場が広まると、最初は「ルーディーブルース(Rudieはジャマイカのスラングで不良少年を表す言葉)」として知られ、のちに「スカ」「ブルービート」そして「ロックステディ」として知られるようになります。
 
歌詞はジャマイカンパトワ(patois、クレオール語)、ジャマイカンイングリッシュ、イヤリックの方言で歌われるのが一般的です。
 
多くのレゲエではよりライトな内容や個人的なトピック(恋愛や社交について)について歌われていますが、レゲエは社会への批判や宗教について歌われることで昔から知られています。
 

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音楽的特徴

 

影響を受けた音楽

 
レゲエの直接の起源はスカとロックステディで、たとえば打楽器として使うベースのスタイルをロックステディから引き継いでいます。
 
他にも、R&Bやジャズ、メント、カリプソで使われる音楽的要素を含んでおり、伝統的なアフリカンフォークのリズムからも影響を受けています。
 

ベースとドラム

 
レゲエでは、ベースとドラムによって楽曲がリードされます。
 
この2つの楽器による、ダウンビート・オフビートのリズムセクションの対位法的演奏が特徴的です。
 
オフビートって何?という方はコチラ
 
ベースはレゲエでも特に重要な要素で、より厚くヘビーで、EQで高音域をカットされ、より低音を重視しているのが特徴的です。
 

その他レゲエで見られる要素

 
オフビートには、ピアノかギター(あるいは両方)で演奏されるスタッカートのリズムが入ります。
 
通常はスカやロックステディよりも遅いテンポで演奏されます。
 
コールアンドレスポンスの要素も、レゲエで見られます。
 

レゲエの歴史

 

レゲエの先駆者

 
レゲエの直接の起源は、1960年代ジャマイカのスカとロックステディで、他にもR&Bやジャズ、メント、カリプソで使われる音楽的要素を含んでおり、伝統的なアフリカンフォークのリズムからも影響を受けています。
 
スカは1961年から1967年にジャマイカの音楽市場では一般的とされていたジャンルで、当時アメリカのR&BはドゥーワップをベースにしたジャマイカンR&Bから誕生します。
 

ラスタファリ運動は、Count Ossieなどの「ラスタドラマー」たちとともにレゲエに大きな影響を与えていました。
 

 

レゲエドラミングの祖先「ニャビンギ」

 
レゲエドラミングの祖先としては、ラスタファリアンの生活において共通の瞑想の練習として行われる太鼓の儀式「ニャビンギリズム(Nyabinghi rhythm)」があります。
 

 

 

 

レコードとジャマイカ音楽

 
20世紀後半になると、レコードがジャマイカの音楽業界の中心となり、文化的にも、経済史的にも、レゲエの発展に大きく貢献していきます。
 
1950年代初期にはジャマイカの起業家がSPレコード(78 rpm disc)を生産しますが、1949年に販売を開始した7インチシングルに、すぐ取って代わられてしまいます。
 
 
1951年になると、最初のメント(音楽ジャンル)の作品がリリースされ、アコースティック・ルーラルスタイルと、ジャジーポップスタイルの2種類で発表されました。
 
他の7インチシングルの作品もジャマイカでリリースされましたが、これらはアメリカで人気のR&Bのヒット曲をカバーしたものでした。
 
これらの楽曲は、ジャマイカの首都であるKingstonで作られた「サウンドシステム」で公共の踊り場でプレイされました。
 
この「サウンドシステム」というのは、ジャマイカのポピュラーカルチャーにおける、スカやロックステディ、レゲエをプレイするDJ、エンジニア、MCのグループのことを指します。
 

 

一方、ジャマイカの駐在員たちはイギリスの小さな独立レーベルで45 rpmレコードを発行し、ジャマイカの45rpmレコード作品の数多くを直接マスターしていきます。
 

スカとイギリス

 
スカは1950年にジャマイカのスタジオで誕生したジャンルで、アメリカンのR&B、ジャマイカのメント、カリプソを混ぜた音楽です。
 
わかりやすい特徴としては、ジャズの影響を受けたホーンセクションのリフ、4分音符のウォーキングベース、ギターとピアノによるオフビートの刻み、スネアのクロススティック、バックビートに入るバスドラム、オフビートに入るオープンハイハットなどがあります。
 

スネアのクロススティック
 

 

ジャマイカが1962年にイギリスから独立すると、スカは「自分たちだけの音楽」を探し求めるジャマイカの若者たちに選ばれる音楽となります。
 
そしてのちに、スカはイギリスの「モッズ」の文化でも人気となります。

 

ゆっくりなテンポの理由

 
1960年代中盤になると、スカは新しいジャンル「ロックステディ」を生み、スカよりもスローテンポで、よりロマンティックな歌詞で、目立つホーンセクションが少ないジャンルを誕生させます。 

ジャマイカのミュージシャンたちがロックステディを特徴付ける「スカよりも遅いテンポ」を採用した理由の一つには、Hopeton Lewisというシンガーが、彼のヒット曲「Take It Easy」をスカのテンポで演奏できなかったことが挙げられます。
 

 
ちなみに「ロックステディ」という名前は、Alton Ellisのシングル曲発表後に確立されました。
 

 
のちにリリースされる多くのロックステディの楽曲はレゲエの基本としても使われるようになり、レゲエも同じく「ダブルスカンク」と呼ばれるオフビートに来るギターのストロークを演奏できるようにするため、よりゆっくりなテンポで演奏されています。
 

 

 

レゲエの誕生

 
レゲエは1960年代終わり頃、スカやロックステディから誕生しました。
 
初期の楽曲には、Larry And Alvingの「Nanny Goat」や、Beltonesの「No More Heataches」などがあります。
 

 

 

ビートはロックステディとは異なり、アメリカのR&Bを特徴付けるなめらかでソウルフルなサウンドはなくし、代わりにアメリカ南部のファンクの近い、リズムセクションをより活発に聞かせるサウンドが特徴です。
 
レゲエはほぼ無制限の柔軟さが最大の特徴です。
 
Lee Perryの「People Funny Boy」などのぎくしゃく動くようなサウンドから、Third Worldの「Now That We’ve Found Love」などのアップタウンサウンドまで、年月を通してスタイルは大きく違ってきますが、それでもすぐレゲエとして認識することができます。
 

 

 
ロックステディからレゲエへの変遷は、Jackie MittooやWinston Wrightなどのジャマイカのミュージシャンによって開拓された「オルガンシャッフル」によって見ることができ、Eric “Monty” Morrisの「Say What You’re Saying(1968)」や、Lee “Scratch” Perry”の「People Funny Boy(1968)」などで見ることができます。
 

 

 

 

ボナファイドレゲエ

 
1968年初めは「ボナファイドレゲエ(Bona Fide Reggae)」が初めてリリースされた年で、これにはLarry Marshallの「Nanny Goat」やThe Beltonesの「No More Heartaches」などがあります。
 
「Bona Fide」は「本当の」「誠実」「正直な」という意味
 

 

 

他の国・ジャンルでもレゲエが広まる

 
またこの年は、新しいジャマイカのサウンドが他の国でこのレゲエサウンドを真似ている有名なアーティストたちを生み出し始めます。
 
例えばJohnny Nashの1968年のヒット曲「Hold Me Tight」は、アメリカのリスナーチャートで初めてレゲエが入った曲として評価されています。
 

 
この時期はレゲエの影響はロックやポップにも広まっており、例えばThe Beatlesの「Ob-La-Di, Ob-La-Da」などがこれにあたります。
 

 

スカ・ロックステディ・レゲエの変遷をたどってきたアーティストたち

 
Bob Marley、Peter Tosh、Buny Wailerで1963年に結成されたバンド「The Wailers」は、初期ジャマイカのポピュラーミュージック(スカ、ロックステディ、レゲエ)の変遷を全て通して活躍したバンドとして最も有名でしょう。
 
彼らの楽曲の中には、ジャマイカのメントをベースとしたもの、あるいはそれを使った楽曲がいくつもあります。
 

 
レゲエへの移行を行なった有名なスカアーティストには、他にもPrince Buster、Desmond Dekker、Ken Boothe、Millie Smallなどがいます。
 

 

 

 

Millie Smallは、1964年のブルースビート・スカカバーバージョンの「My Boy Lollipop」が世界的大ヒットとなりました。
 

 

スカ・ロックステディ・レゲエの発展に貢献したプロデューサーたち

 
スカをロックステディやレゲエに発展させたジャマイカの有名なプロデューサーには、Coxsone Dodd、Lee “Scratch” Perry、Leslie Kong、Duke Reid、Joe Gibbs、King Tubbyなどが挙げられます。
 

 

 

 

 

 
Chris Blackwellはジャマイカで1960年にレーベル「Island Records」を立ち上げた人物で、1962年にはイングランドに移転し、ジャマイカ音楽を促進し続けてきました。
 
彼はLee GopthalのTrojan Rechordsと1968年にパートナーシップを組み、1974年にSaga Rechordsに買収されるまでの間、イギリスでレゲエの楽曲をリリースし続けてきました。
 

世界的な人気を獲得するレゲエ

 

チャートトップに上り詰めるレゲエの楽曲

 
レゲエは1972年終わりのU.S. Billboard Hot 100チャートでトップとなり、レゲエの影響はまさにバブル状態でした。
 
the Maytonesの楽曲「Black and White」をカバーしたThree Dog Nightの楽曲は、この年の9月にナンバーワンヒットを記録します。
 

 

Johnny Nashの「I Can See Clearly Now」は、同年11月に4週間に渡ってチャート1位を記録。
 

 

Paul Simonの「Mother And Child Reunion」は、ジャマイカの首都であるキングストンでレコーディングされ、Jimmy Cliffのバッキンググループとともに演奏されたものですが、こちらは1972年の年間チャートで57位を獲得します。
 

 

映画でフィーチャーされるレゲエ

 
1973年になると、映画「The Harder They Come」でJimmy Cliffが出演し、ジャマイカ以外の国々でジャマイカ音楽を映画ファンに広めることができました。
 

 
この映画はカルト的な地位を得ることとなりますが、その限られた魅力のためか、世界中のロック・ポップスのラジオで放送されたBob Marleyの1974年のEric Claptonのカバー曲「I Shot the Sheriff」よりはインパクトが小さく終わりました。
 

 

ロックのカバー曲

 
Claptonの「I Shot The Sheriff」はモダンロックのプロダクション・レコーディングテクニックを使っており、本来のレゲエの要素をほぼ忠実に使っている楽曲です。
 
これはパロディーではないパスティーシュ(模倣作)で、このBob Marleyのカバーによって、幅広いロックのリスナーたちにもレゲエを広めることとなります。
 

 

イギリスへの進出

 
1970年代中盤になると、レゲエのダブプレート(Reggae Dub Plate)・レゲエのスペシャル(Special)が、イギリスのJohn Peelのラジオ番組で放映される機会が出てきました。
 
ダブプレート(スペシャル):レゲエのサウンドシステムで使われる、編集済みの音声記録メディア全般を指す言葉。
 

画像:ダブプレート(https://en.wikipedia.org/wiki/Dubplate)
 

 
これにより、彼の音楽キャリアにおいてレゲエを促進することとなります。
 
この時代、イギリスの映画製作者であるJeremy Marreが「ルーツレゲエ(Roots Re
ggae)」の全盛期を追った「Roots Rock Reggae」で、ジャマイカ音楽のシーンをドキュメンタリー化します。
 
ルーツレゲエ:レゲエのサブジャンルで、アフリカ人の日常生活や熱望などを取り扱った音楽。
 

 

ジャマイカで制作されたレゲエのレコードの品質は、1970年代のオイルショックにより悪化してしまいます。
 
しかし、他の場所で制作されたレゲエは、逆に繁栄していきます。
 

イギリスのパンクロックとレゲエ

 
1970年代終わりから1980年代初期にかけては、イギリスのパンクロック(UK Punk Rock)が盛り上がり始め、レゲエはそこにも大きな影響を与えます。
The DJ Don Lettsは、パンクロックで有名なThe Roxyというクラブでレゲエとパンクロックをプレイ。
 

 
The ClashやThe Ruts、The Members、The Slitsなどのパンクバンドは、レゲエに影響を受けた多くの楽曲をプレイします。
 

 

 

 

 

多民族グループで演奏されるレゲエ

 
この頃、レゲエはイギリスで新しい道を歩み始めていました。
 
例えば、イギリスの都心部の多民族構成によるグループによって演奏され、これにはSmiley CultureやCarroll Thompsonなどと同様、Steel PulseやAswad、UB40といったグループが挙げられます。
 

 

 

 

 

 

ジャマイカのゲットー(ユダヤ人街)をテーマにした歌詞はイギリスの中心街をテーマにした歌詞に置き換えられ、ジャマイカのパトワ(patois、クレオール語)は、コックニーのスラングと混ざっていきます。
 
コックニー:イギリスの東ロンドンの方言
 
このころ、南ロンドンでは新しいサブジャンル「Lovers Rock」が誕生します。
 

 

Gregory Issacsなどの男性アーティストがメインで演奏するジャンルだった同名のジャマイカの音楽とは違い、南ロンドンのLovers Rockでは、前述のThompsonやJaney Keyなど、女性シンガーがリードしています。
 
イギリスのLovers Rockは、より柔らかく、商業的な音が特徴です。
 

 

 

 

Third WorldやBlack Uhuru、Sugar Minottなどの他のレゲエアーティストは、1980年代初め頃に世界的にアピールを成功させました。
 
そして、1985年にはグラミー賞に「ベストレゲエアルバム」という部門ができます。
 
女性もレゲエ音楽業界では活躍しており、Olivia Grange、Trish Farrell、Lisa Cortes、Saron Gordonなどが有名です。
 

現在のレゲエ

 
ジャマイカのBruce Golding首相は、2008年2月を最初の「レゲエ月間」としました。
 
これを祝い、レコーディング産業協会(RIAJam)は2008年2月24日に最初のレゲエアカデミー賞を開催しました。
 
また、レゲエ月間は6日間に及ぶグローバルレゲエカンファレンス、レゲエフィルムフェスティバル、2つのラジオステーションでのアワード放送、そして、Bob Marleyが好きなシンガーとして言及しているDennis Brownのトリビュートコンサートなどが開かれました。
 

 
ビジネスの視点では、RIAJamはレゲエの雇用機会や海外でのイベント開催にフォーカスしたイベントを開きます。
 
ジャマイカでのレゲエ月間2019では、Bob Marleyの2月6日の誕生日を祝う大規模な祝賀会、2月24日のDennis Brownを讃えるコンサートなど、様々なイベントが開かれました。
 
2018年11月には、「レゲエミュージック・オブ・ジャマイカ」がユネスコの「人類の無形文化遺産」に追加されます。
 


 
 
カリビアンミュージックシリーズ最後は、レゲエの音楽的な特徴をご紹介します!
 
どんな楽器がどんな音やフレーズを使うのか、具体的に解説していきます↓

 

【ラテン音楽】レゲエ(Reggae)とは?【音楽的特徴編】